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政府が発病と工場廃水の因果関係を認めたのは

政府が発病と工場廃水の因果関係を認めたのは1968年である。1968年9月26日、厚生省は、熊本における水俣病は新日本窒素肥料水俣工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物が原因であると発表した。同時に、科学技術庁は新潟有機水銀中毒について、昭和電工鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀を含む工場廃液がその原因であると発表した。この2つを政府統一見解としたが、この発表の前の同年5月に新日窒水俣工場はアセトアルデヒドの製造を終了している。このとき熊本水俣病が最初に報告されてからすでに12年が経過していた。なお、厚生省の発表においては、熊本水俣病患者の発生は1960年で終わり、原因企業と被害者の間では1959年12月に和解が成立しているなどとして、水俣病問題はすでに終結したものとしていたが、その後の展開から見てもこれは妥当な判断であったとは言い難い。事実、国は水俣病発生の責任を認めず、原告と国との裁判はその後も続いた。国は1990年に出された裁判所の和解勧告(9月に東京地裁が、10月に熊本地裁と福岡地裁が相次いで同じ趣旨の勧告を出す)を拒否しており、和解に転じるのは1996年のことである。また、原告で和解を拒否した水俣病関西訴訟の裁判は、上記のように、2004年10月まで続いた。
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1967年、新潟水俣病の患者は昭和電工を相手取り、新潟地方裁判所に損害賠償を提訴した(新潟水俣病第一次訴訟)。四大公害裁判の始まりである。政府統一見解後の1969年6月14日には、熊本水俣病患者・家族のうち112人がチッソを被告として、熊本地方裁判所に損害賠償請求訴訟(熊本水俣病第一次訴訟)を提起した。

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2009年11月13日 12:26に投稿されたエントリーのページです。

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