姫路城(ひめじじょう、Himeji Castle, Himeji-jo[4])は、兵庫県姫路市(播磨国飾東郡姫路)にあった城。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、ユネスコの世界遺産[5]や日本国の特別史跡[6]となっている。
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姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山に築かれた平山城である。日本における近世城郭の代表的な遺構である。
この歴史は中世に赤松氏が姫山に城を築いたことから始まる(異説もある)。戦国時代後期には羽柴秀吉が居城し、江戸時代には姫路藩の藩庁として最初は池田氏、のち本多氏や酒井氏などの譜代大名が入城した。明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第十連隊が駐屯していた。この際に多くの建物が取り壊されたが、大小天守群、櫓群が当時の陸軍省の働きかけによって名古屋城とともに国費によって保存される処置がとられ[1]、太平洋戦争においては空襲に見舞われたものの焼失を免れた。
現在では天守を始め多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定されている。また1993年(平成5年)、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。現存天守は、江戸時代以前に建造された天守が現存する日本国内12箇所の城の一つであり、いわゆる「国宝四城」(通例として、国宝指定の天守を持つ城のことを指し、姫路城・松本城・彦根城・犬山城をいう)の一つでもある。
江戸時代や戦国時代を舞台とした時代劇を始めとして映画などのロケが行われることも多く、しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されている[7]。
名称の由来と別名 [編集]
姫路城天守の置かれている「姫山」は古名を「日女路(ひめじ)の丘」と称した。播磨国風土記にも「日女道丘(ひめじおか)」の名が見られる。姫山は桜が多く咲いたことから「桜木山」、転じて「鷺山(さぎやま)」とも言った[8]。天守のある丘が姫山、西の丸のある丘が鷺山とすることもある。
通称「白鷺城」の由来は以下のような説が挙げられている。
姫路城が「鷺山」に置かれているところから[8]。
白漆喰で塗られた城壁の美しさから。
ゴイサギなど白鷺と総称される鳥が多く住んでいたから。
黒い壁から「烏城」とも呼ばれる岡山城との対比から。
白鷺城は「はくろじょう」の他に「しらさぎじょう」とも読まれることがあり、村田英雄の歌曲に『白鷺(しらさぎ)の城』というものもあるが、日本の城郭の異称は音読みするのが普通である[8]。
他にも以下のような別名がある。
出世城
羽柴秀吉が居城し、その後の出世の拠点となったことから呼ばれる[9]。
不戦の城
築城されてから一度も(外敵との)戦闘を行なわなかったことから。
歴史・沿革 [編集]
姫路城の築城者は南北朝時代・1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範とする説が有力であり、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代は砦と呼ぶべき小規模なもので、「城」と呼べる規模の構築物としては、16世紀に播州平野に割拠した小寺氏の被官である黒田重隆が築城したのが最初であるという異説もある[10]。
山陽道上の交通の要所・姫路に置かれた姫路城には黒田氏や羽柴秀吉(豊臣秀吉)が城主として入り、江戸時代には池田輝政によって今日見られる天守等が築かれた。輝政およびその子・孫以降は親藩松平氏や譜代大名が配置され、さらに西国の外様大名監視のために西国探題が設置された。